昭和41年01月19日 夜の御理解



 神ながらなおかげと言う事を申します。神なながらなおかげと言うのは、本当に私し共の、人智をもって知る事の出来ない、人間の智をもって知る事の出来ない、人間が気が付かない、神様の働きと言うのは、素晴らしいなと言う様な時に、神ながらと言うのお使うのですけれども。私しは、この随神のおかげと言うのは、私し共、氏子の立場から言うなら、私し共がです。
 例えばそのおかげを、神ながらのおかげにして行かなければいけないと思うんですね。神かんながらのおかげに、私くし共がして行かなければいけん。そこに私し信心の、おかげの焦点と言うものを置いていかんと、折角のおかげにけちを付ける様な事になる。口ではおかげと言いながら、是がまちっとおかげになりゃよかった、ちゅう言う様な事になる。ですから神ながらなるおかげと言うのは、私し共のその後の精進、その後の信心の、その事の受け方、頂き方によって、それを神ながらにして行く。
 成程神ながらな事と、例えばここの椛目の御造営の事で、随分大きなミスが御座いましたです。第一あの基礎を二回やり変えております。それから私しのあの、住宅の方の教会長室の方、私し共の休む所の軒が短くてどうもおかしい。そいで先の方がこうベランダの様に、こうなった所が。その設計士も、皆んなが言うんですけれども。設計士の頭では、とてもこういう様な設計は、もう初めから出来ないと、こう言うミスしとったおかげでです、なんと素晴らしいその型の物になって行きよるど言う事。それがそう云う様な事が今度の御造営の時に、もう次ぎ次ぎと、そのあるんですね。
 今日も委員長朝から来ておりました。それで今日も言うんですね。本当に何か大きな、例えば、ミスの様な場合には、それがミスのまま、こう押しやられながら行きよる様な、その時に私しが、何時も来会わしてから、おかげを頂くと言う訳なんです。今度も又大きなミスがあってるんです。今度はあの客殿の方、応接と客殿が続いております。その客殿がですね、基礎が丁度一間だけ、もう南の方に寄らなければならなかったというんですから、これは大きなミスですね。
 それはやっぱり管理者は、管理者としてですね、設計者は設計者として、ミスと言う訳に。夕べも来てあったんですから、それならそれとして言われりゃ言いんですよ。けれどもその大工と何とかいう談合をしてですたい。そしてその、そこに変な軒を作ったり、本館の屋根まで切らなならん様になって、そしてその本館から、その客殿に続く廊下は、天井が低うなってから、暗くなる様な風にしなければ、その、今のままでやったらいけないと。そこを今日委員長に言ってから、気付かして貰った。
 そらちょっと待てと。今晩管理者と会って話し合うからと言うて、その言うて来たといって、話を聞かせて頂いたんですけれど。成程それは、このもう一ペンんなら、基礎をやり直さなければならんのですよね。それで、私しが言うたんです。あの応接とは客殿にだけでも、もう普通の家のやっぱり、その十分りっぱな家一軒がたある訳です。それを好い加減に切ったり、刻んだりしてから、本館の方までこうして、しかも、廊下は天井が低いと言った様な事をせずにね。
 もうこら初めからね、初めからこういう家を一軒建てるんだと言う気持ちで、ひとつ考えてくれと私しが申しました。それで、その成程基礎をするだけ、又幾らかお金はあすこに要る事で御座いましょうけれどもですね。一軒やって今度そこの所をしますとですね、そらとてもやっぱり設計士では、思いも付かない様な素晴らしい事になるんです。長い廊下をずうと行き当りに客殿があったのが、ちょとその行き当りではなくてから、一間出来る訳けですから。
 ちょうどそあの洋間と客殿の所に、六畳位いの踊り場が一つ出来てですね何とも言えん。そのまあ格好のこりゃあとっても、妙なですねと言う訳です。そうするとそれで私しがこれね、秋永先生私しの流儀だから、今日はあちらに行った高橋さんも二人連れで参りましたから、その事を言うてくれ、そらもうミスと言やミスだけれども、ミスと言う、こらおかげと言やおかげなんだと。そういうミスしとるおかげでです、こういう格好の良い物になって来るんだから。私の場合、必ず難はみかげにならな出来んです。
 必ずこのミスのおかげで、返ってこう云う事になったと言う時です。成程神様の働きて神ながらだなあ と言う事になる訳けでしょうが。ですからそこん所です。本当こげなミスしてから黙ってから、その設計士も好い加減な、しかもそのそこの継いだり切ったり。 言わば本館の屋根まで切らなければならない様な格好の悪い物にして、もし作っておったら、どう言う風になるでしょうか。
 何時までも本当にここはこげなこつしてから、設計士が間違えとるもんじゃけんでから、ここがこげなこつになったと言う事になるでしょう。もう一つ、その一間南の方にやりますとですね。ちょっとあの庭が長過ぎる、広過ぎると言うておったんです。ですから、そこのものの具合も良くなるのです。まあ言うならもう何からかにまでです、それはミスじゃない。神様の働きであった。そこん所の働きをお互いがミスと言うて神様に御無礼をしたり、御無礼な事を言うたり思うたりする訳けなんです。ね。
 そこが神様の働きなんだから、そこん所をですね、もうひとつ一押し例えば、んならさして頂いて、一間南の方にうやる事になってです、建ち上がってしまった後に、これはもう一番初めの設計よりもりも、これの方がもう良かった言う事になり。こうゆう事は普通、設計士では気が付かない所に、こう言う様なその素晴らしい一つのアイデイ アが生まれたと言う事にです。
 なるんです。それで初めて、成程神ながらだなあと言う事になるのです。してみると神ながらと言うのはです、私し共の信心によってです、ミスじゃないそれも神様の働きとして、おかげとして頂いてですそして、次ぎの又、努力と言うのが必要であると。これは今度の御造営の場合にもうその、それを二言、三言、これではない。もう色々な場合にそれを感じます。ですから人間の事で御座いますから、どこに誤ちがあるやら、分かりません。ですから設計士をせめる事はない。
 設計士とても一生懸命やってから是なのだから。だから、それがそのままで、そんならしょうなかていと言うてやっていけば。これはもう何時までも設計士の、顔も汚れたままだろうし、本当にここは、こんなミスをやってからと言うて、もう不平を言わなければならんのだけれどもです。そこん所を私しはもうひとつ、そこん所を神様の働きとして頂いてミスと言わずに、おかげと頂いた。そして次ぎに英知を頂かして貰う所にです、斬新なものが生まれて来ると言う風に思います。
 神ながらと言うのは本当に神様、人間の智恵や力で及ばない様な働きを言うのですけれども、その及ばない働きとてもです。人間のそういう受け方の中から、いよいよ神ながらなものは生まれて来るんだと。してみると私し共が、神ながらなものにして行くんだと言う事になるです。そこに成程、信心の稽古がなされておかなければならないと言う事になりますですね。
   どうぞ。